しまおまほ「マイ・リトル・世田谷」

4 通学路

「世田谷通りの不動産屋を曲がるの、そうそう、駐車場の前の家」

最近知り合った友人が近所の一軒家に越したと言うので、前に聞いた道順を思い出しながら、散歩がてらその周辺を歩いてみた。

と言っても、その道はわたしが高校時代3年間自転車で走っていた通学路で、説明を受けた時すでに景色が浮かんでいた。駐車場をすぎると角に古い文房具屋があって、入り口に置かれた段ボールにはいつも猫が鎮座していた。道を渡ってその先に小学校、ファミレス。しばらく住宅街が続いて花屋がある。越したばかりの彼女はそこまで知らないだろう。

わたしの住む豪徳寺から、学校のあった都立大学へは小田急線と井の頭線、東横線を乗り継がねばならず、交通の便が面倒だった。
電車だと約1時間、自転車だと約30分。わたしはどんな天気の日も迷わず自転車通学を貫いた。

そのため、友人が住処としたこの場所も、我が物顔で歩いてしまうのだ。家のあたりに近づくと、いかにも今時な新築の家が並んでいた。

たしか、これらが建つ前ここは1軒の古い病院だった。一見同じ様な白い家が何軒も並んでいたが、よく見ると左右反対の造りだったり、玄関口に敷いてある石や門扉の形が違っていたりする。表札を確認しながら歩いていると、一番端の家の玄関前に小柄な女性がちょこんと座っていた。子どもではないらしいが、着ているものはピンクのトレーナーにオーバーオールで、ちょっと不思議な感じだ。よく見るとマッシュルームカットの髪は白髪まじり。気をとられながら、その人が座っている家の表札を見ると、そこが友人の家だった。明らかな他人が友人の家の前を占拠していることに戸惑っているとその人が急に声をかけてきた。

「コンニチハ!」

聞き覚えのある声にハッとし、わたしはその人が誰かを思い出した。高校生の頃、同じ道の同じ場所に立ち、道行くわたしたちに毎日挨拶してくれた女の子だったのだ。

「コンニチハ!」

たしかにその人だ。黒髪のおさげだった髪型が変わり、少し痩せていたけれど、黒目がちなクリクリの瞳とめくれた上唇は変わらない。わたしは感激して、

「こんにちは!」

と返事した。

当時も、ビックリしたのは最初のうちだけで、毎日の挨拶は日課になっていた。知っている道や景色に得意になっていたけれど、わたしは大事な、大事なことをすっかり忘れていたではないか。

後日、友人にそのことを話すと

「マサミさんね! いつもウチの前にいるよ。子どもも遊んでもらってるの。彼女が子どもの側にいるって大事なことだよね」
と言ってくれた。

そうなのだ。わたしも口のきけなかった叔母から何にも代えることのできない”大切な気持ち”をもらった。「マサミさん」も、わたしの生活の一部を豊かな気持ちにさせてくれた人の1人だ。

それにしても、3年間毎日挨拶を交わした彼女の名前を15年越しに知るなんて。それを教えてくれたのが新しい友情だなんて。

誰ともなく、心の中で感謝したくなるような出来事だった。

しまおまほ(島尾・真帆) 
1978年生まれ、豪徳寺在住。多摩美術大学芸術学部卒業。ファッション誌やカルチャー誌にマンガやエッセイを発表。著書に『まほちゃんの家』『ガールフレンド』など。両親はカメラマン、祖父母は作家の島尾敏雄・島尾ミホ。