しまおまほ「マイ・リトル・世田谷」

5 大人の登校

月に1回、かつて通っていた小学校に登校している。

学区域の小学校で行われる地域住民と在校生の保護者による「学校運営委員会」に卒業生代表として任命されたからだ。もう4年目になる。

会議が開催されるのは、ほとんどの生徒が下校した夕方から。20年前と同じ通学路をトボトボと歩き、5分もしないで学校へ着く。ゼッケンをつけた高学年の男子がサッカーの練習をしている校庭の端を通って、昇降口へ。下駄箱の簀の子あたりで靴を脱ぐのだが、履物にいつも困る。職員用の下駄箱の横にある「来客用」と金色の字が押されたスリッパを履けばいいのだけれど、どうしてもそれを履く気になれないのだ。

「これは大事なお客様のスリッパだから、むやみに出したらダメだよ」

あの頃、そう先生に注意された。

校舎が当時のままだからか、校門をくぐるとわたしは小学生になるらしい。体育館も、裏庭の藤棚も、キンモクセイの木も、給食室もまったく変わっていない。

変なトコロで律儀なわたしは、毎回靴下のままペトペトと冷たい廊下と階段を歩いて会議が行われる被服室へ向かうのだ。

子どもたちのいない、薄暗い校舎。忘れ物を取りに来たり、課題で残った時、その雰囲気にソワソワした。こういう時にかぎって友だちから聞いた学校の怪談噺を思い出し、急いで下駄箱へ駆けたりしたものだ。「夜になると血を流す」「よく見ると泣いている女の子の形になる」なんて言っていた壁のシミは、もうない。

会議では、最近の学校の報告を校長先生から伺い、行事、生徒の様子、他校との交流などを議題に意見を交わす。わたし以外の委員は学校のことに本当に詳しく熱心で、会議の時わたしは申し訳なさそうに彼らの話を聞くだけ。たまに

「生徒さんが挨拶してくれました」とか

「展覧会の工作の工夫が楽しかったです」なんて役に立たない発言をして、その後すぐさま後悔をする。

しかし、行事のTシャツをデザインしたり、学校外授業で引率をしたり、漢字検定の封筒を学年別にわけたり、少なからず貢献している部分もある。そんな時に子どもたちにお礼を言われたりすると、会議での消極的な態度を自分で勝手にチャラにするのだ。

会議の後、PTAの会長さんに声をかけられた。

「マホちゃん、いつも足が寒そう」

来客用のスリッパはなんだか申し訳なくて、そう言うと会長さんは

「じゃあ上履きをもってらっしゃいよ」

と言ってくれた。4年も通っていて、なぜそのことに気づかなかったのだろう。続けて会長さんが

「あと……いつももうちょっと声出して帰りなさいよ、ね?」

やはりあの程度の貢献ではチャラにはなっていなかったらしい。少し落ち込んだ気分で校門へ向かうとプール横のトーテムポールと目が合った。わたしたちより何代か前の卒業制作だ。

次回は上履きと発言。大人になっても小学校へ通うわたしに、宿題が出されたのだった。

しまおまほ(島尾・真帆) 1978年生まれ、豪徳寺在住。多摩美術大学芸術学部卒業。ファッション誌やカルチャー誌にマンガやエッセイを発表。著書に『まほちゃんの家』『ガールフレンド』など。両親はカメラマン、祖父母は作家の島尾敏雄・島尾ミホ。