サイプレス上野とロベルト吉野「ヒップホップ生涯学習〜俺もお前もまだ×2勉強×2〜」

第1限目 講師の紹介①

今年度から中学校体育でダンスが必修化され、「現代的なリズムのダンス」として、ヒップホップダンスが選ばれる学校も多いとか。今号から、ダンスだけでなく、ラップミュージック、DJ、グラフィティ、ファッションなど、さまざまな要素を含むヒップホップカルチャーの楽しさを、多方面で注目されるユニット「サイプレス上野とロベルト吉野」を講師に迎えてお伝えします!

――初回はまず講師の紹介ということで、お2人は同じ団地で育ったそうですが、ヒップホップカルチャーに出合ったきっかけを教えてください。
サイプレス上野(以下サ上) 小6か中1くらいでTVで「ダンス甲子園」を見て、バスケが入ってきて、五輪のドリームチームとかで賑わい出して、みんなブルズとレイカーズのユニフォーム着てた頃かな。
ロベルト吉野(以下ロ吉) バッシューとか流行った。
サ上 そうそう。遊びで3on3をずっとやってる感じで、そういうノリで洋物のヒップホップを聴いてた。誰でもスケボーやってる時代だったし、「今夜はブギーバック」も「DA.YO.NE.」も知っててヒップホップを何となく聴いてたけど、そこから深く突っ込む奴は少なかったよね。
ロ吉 まだその時はヤンキーっぽいノリだから特に意識はしてなくて、ある時、向こうからすっげぇB-BOYの格好した人が歩いてきて、それが上野君だった(笑)。年上の上野君たちがラップグループ組んでから、僕らも見様見真似でやってみようってことになって、DJの友だちの姉ちゃんがヒップホップ好きで部屋でいろんな音楽がかかってて、KRS・ワンを初めて聴いたのを覚えてる。
サ上 ヤンキーノリでXとか尾崎に感化されやすい年頃だから、そこで分かれたのかもね。オレはひねくれてたから、1人とか趣味が違うキレイな友達(笑)たちと渋谷に通って情報を仕入れて皆に回して、駐車場でラップの練習とかしながらその中でやる気のある奴だけグループ組むようになった。
ロ吉 あとその頃女の子に、「スチャダラパーとEAST END×YURIとどっちがいい?」って聞かれて、どっちも知らなかったから「EAST END」って答えたら「ダサいね、君」って(笑)。それでムカついてスチャダラを買ったんだよ。
サ上 オレは当時、アメリカのヒップホップの直訳みたいなハードコアな雷とか、社会派のRHYMESTERも好きだったんだけど、スチャダラパーは言葉を面白く使って面白おかしく話すスタイルっていうか、普通に喋ってるのと変わらないラップが新鮮だった。自分たちも夜な夜な集まって漫才対決とかやって遊んでたので、ガキが背伸びしてカッコつけてるけど、元々はこういうのが好きだったんじゃないか?って。とにかく衝撃だったね。
ロ吉 なかでも僕は『5th Wheel 2 The Coach』というアルバムの「ノーベルやんちゃDE賞」って曲でANIさんの「どうもどうも」っていう喋りをループで使ったりして、とにかくいじりまくりましたね。
サ上 あのアルバムは「サマージャム’95」とか「B-BOYブンガク」とか、ネタの使い方にしても、当時アメリカでカッコイイと思ってる概念を全部やってる感じだったので、それまで斜に構えて彼らを認めてなかった人たちも全部飛ばされちゃって、手のひら返すみたいに「あれはヤヴァい」ってなったよね。(つづく)


スチャダラパー『5th wheel 2 the coach』(1995年)
スクラッチ用に目印のテープが張られ、
使い込まれたロ吉のレコード。

サイプレス上野とロベルト吉野(通称 「サ上とロ吉」) 
2000年に「横浜ドリームランド」出身の先輩と後輩で結成(マイクロフォン担当:サ上[上部写真左]、ターンテーブル担当:ロ吉[同右])。「HIP HOPミーツallグッド何か」を座右の銘 に掲げ、「決してHIPHOPを薄めないエンターテイメント」と称されるライブパフォーマンスを武器に毎年120本近くのライブを行う。ラジオパーソナリティ、TV番組・CMでのナレーター、ファッション・カルチャー雑誌での連載、モデルとその活動は多岐に渡る。12年3月に約3 年ぶりフルアルバム『MUSIC EXPRES$』をリリース。
http://www.sauetoroyoshi.com/