草彅洋平「世田谷酒日記」

第八酒 BAR テラ(閉店)

僕のお店「ONSEN」の話を書いているうちに、三軒茶屋でもっともエキセントリックだったお店が先月閉店してしまった。駅前の二階にあった「BAR テラ」である。僕の飲食店体験上、最も衝撃を受けたお店の突然のクローズだ。二度と行くことはないと思っていたが、「なくなった」と人伝に聞くと、まるで旧知の友人が死んでしまったかのような、なんとも寂寞たる気持ちになった。

初めてテラを知ったときのインパクトは大きかった。バーカウンターのカオス的な空間に、大音量で野坂昭如の「おもちゃのチャチャチャ」や三島由紀夫の「からっ風野郎」が流れている。客の女の子はみんなコスプレ。セーラ服、ブルマ、軍服とコスプレ衣装が店内には陳列されており、客がそれを着ると安くなるという趣味設定になっている。阿部和重など著名な作家のサインが並び、「つい昨日は中島岳志が北海道からわざわざ来てくれたよ」と、本好きの僕が卒倒しそうな情報をさらりとマスターが教えてくれたりして、「なんとヤバイ場所だろう!」と魂が震える要素が満載だった。新宿ならいざしらず世田谷に、知的な、文壇バー的な場所があろうとは、夢にも思わなかったのだ。

この店の最大のウリは常軌を逸したマスターの存在だ。料理の腕もなかなか、かつてICC(NTT インターコミュニケーション・センター)の設立メンバーであり、連合赤軍メンバーで映画監督として著名な足立正生の弟子と名乗る人物が、面白くないわけがない。酔ってくると脱ぎだし、歌い、暴れ、そしてボる。ある日4人で飲みに行くと、パンツ一丁で金物のザルを頭に被り、お玉を振って踊っているマスターに、ビール3本で「男5千円、女の子はタダでいいよ~」と言われて愕然とした。店の常連だったいという女の子が「私は一銭も払ったことないよ~」と笑って教えてくれたが、徹底した差別が男に繰り広げられるお店というのは、なかなかこの世に存在しないだろう。僕は毎度ボラれ、差別されることにより、徐々にこの店に懐疑的になってしまった。そして、ついに決定的な事件が起きた。

ある日、酔った店主が突発的にキレはじめたのだ。「オマエが連れてきた女が、オレの大切な本を借りていって、返さねえ! だからオマエは店に来るんじゃねえ!」と彼。僕からすると、その子が本を借りたのは知らなかったし、返さないのは僕のせいではない。「直接言ってくれ」と答えたら、マスターの怒りがヒートアップ。酒も入っていて、手がつけられない状態になった。そこで「帰ります」とお会計したら、ビール1本2人で8千円。事情を知らない友人が唖然としつつも、僕に支払うための5千円札の両替をマスターに頼むと、「ほらよ、崩してやったよ」とお札を5枚にビリビリと引きちぎって、テーブルの上にバラ撒いてしまった。なんというアナーキー! それ以来、僕はテラに行くのをピタリとやめてしまったのだ。後にも先にも金を破るのを見たのはこの時だけだが、いまにも痛烈なインパクトとして残っている。テラが教えてくれたことは、僕が貨幣の価値を感じていたという一点なのかもしれない。

自分の価値観を壊してくれる人は相手が誰であれスゴイ人に変わりない。飲食店に価格破壊はあるが、概念破壊はない。BARテラは概念破壊のお店であった。

草彅洋平(くさなぎ・ようへい)
1 9 7 6年東京生まれ。(株)東京ピストル代表取締役として、プランナー、編集、執筆、ディレクションなど幅広い業務をこなす。編著に『作家と温泉』。
http://www.tokyopistol.com/