しまおまほ「マイ・リトル・世田谷」

17 遠い記憶

記憶が夢のようだったり、夢が記憶になっていたりすることってたくさんある。

 

独り暮らしを始めたという友だちの新居まで、自転車を走らせて遊びに行くことにした。携帯に住所を入力して、家からの最短距離で目指す。信号のたび、カバンの中の携帯を取り出して地図を確認しながら。10年前はコンビニで買った地図帳がお供だった。携帯メールにもらった住所と照らし合わせながら目的地を探していて、それでも「携帯でメールが見れるなんて便利だなあ」なんて思っていた。電車の乗り換えも、家のパソコンで調べたものをプリントアウトして持ち歩いていたな。「便利な世の中になったな~」って思いながら。

夕方の環七。走る車は多いのに薄暗くて寂しげだった。ポツポツ、とラーメン屋。ところどころシャッターの閉まった店。バス停の灯りもボーッとしていて覇気がない。目的地の学芸大学まで次の次の信号を左……。わたしが進むと携帯の地図上で青い丸もゆっくりと進む。曲がるべき角を間違えないよう景色を確認していると、見覚えのある建物があった。1階にスーパーのある古いビル。2階の窓には「ダンススクール」の文字。たしか、子どもの頃このビルにほんの少しの間通っていたような……。自転車を止めて、レジ袋を下げて出て来る人たちを眺めながら記憶をたどった。

当時から古ぼけていたそのビルの暗い階段をのぼり、ダンススクールから漏れる御婦人たちのかけ声が響く廊下を抜けて通っていたのは「視力回復センター」。

小学校中学年から視力が落ち始めたわたしは、親がどこかの広告で見つけてきたこのビルの「視力回復センター」に通っていたのだ。不思議な所だった。指導員はダブルベストを着たノッポのオジさんと背の低いハンプティダンプティのようなオジさん。入会する時に買った「姿勢矯正ベルト」をつけて椅子に座り、外国の絵はがきを顔の真正面に持ったらオジさんのかけ声に合わせて絵はがきを顔にどんどん近づけていく。

「ハイ、1!2!3!4!」

絵はがきを顔ギリギリに近づけて、子ども達はみんなより目。その後遠くの視力測定表を読んで目の筋肉を鍛える、というトレーニングだった。

「ハイ、1!2!3!4!」

迷いのないかけ声が悪魔の呪文みたいで、トレーニングもなんだか怖いばかりで通うのが憂鬱だった。友だちもできないし、時々変なメガネをかけさせられるし。ほんの数回で辞めてしまった。

もしかしてまだあるのかと、入り口に回ってみたけれど「視力回復センター」の文字はなかった。

もしこの場所で思い出さなかったら、夢だったかもしれないと思うような淡い記憶。

携帯を見ると約束の時間を過ぎていたので、気持ちを「今」に戻して止めていた自転車をまた走らせた。

あの指導員のオジさんたち、今頃どうしているんだろう。

しまおまほ(島尾・真帆)
1978年生まれ、豪徳寺在住。多摩美術大学芸術学部卒業。ファッション誌やカルチャー誌にマンガやエッセイを発表。著書に『まほちゃんの家』『ガールフレンド』など。両親はカメラマン、祖父母は作家の島尾敏雄・島尾ミホ。