草彅洋平「世田谷酒日記」

第十五酒 割烹 味とめ

ふと仲の良い友人たちと一緒に旅に出かけたいと思う。人数は多ければ多いほど楽しいだろう。寂れた温泉街のボロボロの旅館で熱燗を傾けたながら、畳にぺったりと尻を落ちつけ、心ゆくまで馬鹿話をして酔いつぶれたい気分なのだ。だが現実では誰もが忙しく、スケジュールも平行線のまま、僕のちっぽけな夢はなかなか実現することはない。そうして時間だけが過ぎ、そろそろ我慢も限界に近づいたとき、僕は三軒茶屋すずらん通りの一郭にある「味とめ」に友人たちを誘い込むのだ。

一階ではなく二階でなければならない。ギシギシと音の鳴る階段を登るとまるで温泉宿のような座敷が広がり、仏間にせんべい座布団が並べられているのだが、そこで擬似的な温泉旅ごっこをやろうというのである。これが僕の最近の楽しみで、連れて行く誰もが「うわ!ノスタルジックですね!!」と大いに喜んでくれるのが嬉しくてたまらない。僕らはまるで仲間内で秘湯に出かけたかのようなテンションで、畳に突っ伏すまで呑み騒ぐ。この都会にいながら異次元に居るかのような錯覚はなんと呼んだら良いのだろう? 空間転移ではつまらない。その手軽さから「インスタント・トリップ(IT)」とでも名付けたいのだが、適した言葉が見つからないのが残念なところだ。

ところでかつて北森鴻という推理小説家がいた。北森鴻は三軒茶屋を舞台によく小説を書いた。三軒茶屋の再開発をモデルにした「雪待人」や下北沢の骨董屋を舞台にした『孔雀狂想曲』など、世田谷区の地名が作中に頻繁に登場する。作品で特に有名なのが、三軒茶屋の入り組んだ路地にある店「香奈里屋(かなりや)」を舞台にしたシリーズだ。茶沢通りにあるという蛍坂(実際はないのだが)を書いた『蛍坂』には、三軒茶屋の交番とマクドナルドの間のすずらん通りについて「モザイクを思わせるような大小様々な飲食店が、細く短い通りにひしめいている」と書いた。

通りの奥に、当時そのままの店があった。屋号はもちろん、店構えもいっこうに変わりない。
ほとんど無意識のうちに有坂は暖簾をくぐっていた。
生ビールと煮込みを。それに串焼きを盛り合わせて。(「蛍坂」)

ここに登場するお店が、料理好きの北村がかつてアルバイトをし、さまざまなコラムで紹介するほど愛していた「味とめ」だったと、女主人と話していて知った僕はひっくり返りそうになるほど驚いた。というのも僕が北森作品を読み、もしやと女主人に声をかけたからで……。

インスタント・トリップだけでなく、文学の世界にも旅ができるお店、そんな店が三軒茶屋にはあるのだ。

 

割烹 味とめ
世田谷区太子堂4-23-7 TEL:03-3422-5845
営業時間:月~金 10:30~24:30 土・日・祝 15:30~24:30

 
 

草彅洋平(くさなぎ・ようへい)
1976年東京生まれ。(株)東京ピストル代表取締役として、プランナー、編集、執筆、ディレクションなど幅広い業務をこなす。編著に『作家と温泉』。東京ピストルでてがけた日本近代文学館内の文学カフェ「BUNDAN COFFEE& BEER」も話題に。
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