しまおまほ「マイ・リトル・世田谷」

21 小高の夏

小高の川。この時のラーメンがすごく美味しかったのを憶えている。左がサナエ。

 

最近は目が覚めると、近くの小学校から子どもたちがプールに入っている音が聞こえる。拡声器から響く先生の「ヨーイ!」の声。キャッキャと楽しそうな笑い声が水しぶきと一緒にこちらへ飛んで来るようだ。その声を聞いているだけで、プールの水面が光ってキラキラしている様子が瞼に浮かぶ。いつの間にか夏になってしまった。2月にインフルエンザで寝込んだ時は、冬が永遠に続くような気がしてウンザリしていたのに。

1984年の夏、6月に拾ったばかりの子猫を段ボールに入れて両親と3人で福島県南相馬郡小高にある島尾家の墓へお墓参りに行った。段ボールは猫のキャリーバックの代わり。空気穴からニャーニャーと助けを求めていて、なんだか可哀想だった。あの頃はスーパーひたちもなく、南相馬へ行くには半日近くかかった。

母は江戸っ子、当時父の実家は茅ヶ崎。小高はわたしにとって初めての”田舎”だった。

墓守をしている本家は小高という町の高台にあった。2階建ての立派な日本家屋は風呂とトイレが別棟。家に着いて大きな玄関のすぐ横にある居間を覗くと午前の農作業を終え、昼食の後の昼寝をしている父の従兄弟である長男夫婦と長男の母親である“ネコばあちゃん”と、毛足が長くて土に汚れた猫が畳の上でテレビもつけたままゴロッと転がっていた。

「おぅ、来たか」

薄目を開けてこちらを見る長男、ヨイショをお茶の準備にとりかかる奥さん。

不思議な光景だった。自分の日常とはまるで別世界に住む農家の家族が、わたしと血がつながっていて、家族のお墓を守ってくれているなんて。

「ザリガニ釣りに行くべ!」

わたしと歳も近く、仲良くしてくれたのは、この家の4番目の子どもサナエだった。

「ほれ、まほ、オレがここ持ってっから、網で捕まえてみそ」

女の子なのに「オレ」なんて言う子は見たことがなかった。そういえば、ネコばあちゃんも自分のことを「オレ」と言う。話し方は乱暴に感じたけれど、生っ白い都会っ子のわたしの面倒をよくみてくれた。

夜中、電灯のない道をサナエと2人、手をつないで歩いていると時々サナエがふざけて手を離す。その度に不安になって

「どこ!どこ!」

とパニックになると、サナエはケタケタ笑って

「おめぇホントに見えねのが?オレは見えるぞ」

といってまたスッと手を握ってくれるのだった。

カエルの声が響く小高の夜は、世界にわたしたち2人しかいないような真っ暗闇で、もう二度とお父さんとお母さんにも会えなくなってしまうんじゃないかという不安がずっとつきまとってきた。

 

2011年の震災で、小高の家も、お墓も立ち入れなくなってしまった。

双葉町にお嫁に行ったサナエは子どもを2人連れて、避難所を転々としたらしい。

震災の年から、それまで毎年届いていたお米、農作物の便りもなくなってしまった。

そういえば、あの年は本当に夏が来ない気がしていた。桜も、紫陽花もよく憶えていない。

暑くなってようやく、時が経っていることを思い出したのだった。

 

しまおまほ(島尾・真帆)
1978年生まれ、豪徳寺在住。多摩美術大学芸術学部卒業。ファッション誌やカルチャー誌にマンガやエッセイを発表。著書に『まほちゃんの家』『ガールフレンド』など。両親はカメラマン、祖父母は作家の島尾敏雄・島尾ミホ。