草彅洋平「世田谷酒日記」

お通し(前口上) 世田谷で飲むお酒

世田谷のシブイ飲み屋が好きである。僕は世田谷が地元。でも、かれこれ35年以上住み続けていながら、商店街に古くから存在している、絶対に若者が入ることがない、地元の人から愛されているようなお店がひっそりと何軒もあるのに気付かなかった。子供の時から慣れ親しんだ寂れた商店街だからこそ、赤ちょうちんにまったく目がいかなかったというのが正しいのだろう。大人になって気になって、通うようになり、驚いたのは、そうしたお店が僕の知らないうちに地元の人に愛されており、驚異的なおいしさと値段のリーズナブルさを提供していたことだ。世間知らずとはまさにこのこと。30代になって分かる地元もあるのだ。僕は片っぱしから友人たちと一緒に飲み歩いた。すっかりハマってしまったのである。

そうしたお店の何が素晴らしいのかというと、高級住宅地と呼ばれる地域に相応しくない場末感にある。大抵はメチャクチャ汚い。家族経営で、雑誌『世田谷ライフ』が焼き付けたような「オシャレな世田谷」のイメージとは正反対だ。雑誌の勝手なイメージ操作は僕の最も嫌うものの一つであるが、そんな「オシャレな世田谷」でニラ玉をつつきながら梅干入りお湯割り焼酎を飲むのは、なんだか特別にリッチなことをしている気分になれて、なぜだか止められない。お会計も、「え、こんなに安いの!」と驚くことに感動がある。美味い店だから高いのは当たり前、だが、世田谷のボロボロの飲み屋で何故に美味くて安いのか、その謎はとてつもなく深い。

例えるならば六本木ヒルズに山谷がいきなり存在し、その不思議な場末の飲み屋で一杯飲む気分といえば分かるだろうか? 「こんな所にこんな店が!」といった極端な落差がスペシャルな雰囲気を生み出し、まるで異次元にいるかのような気分でただただ酔っ払ってしまう。さらにクオリティーの高い料理と重なって、驚きとともに舌鼓を打てる。これがツマラナイ話であるはずがない。いや、最だ。というわけで、僕は世田谷飲みをラジウム騒動を吹き飛ばすほどに熱く、オススメするのだ。次回から、そんな地元のお店やそこで出会った愉快な人々を紹介していこう。

草彅洋平(くさなぎ・ようへい) 1976年東京生まれ。(株)東京ピストル代表取締役として、プランナー、編集、執筆、ディレクションなど幅広い業務をこなす。編著に『作家と温泉』。
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