世田谷ものづくり学校

REPORT

世田谷ものづくり企業探訪 vol.6| 株式会社コンクリエイトデザイン(世田谷区池尻)

「モノ」の向こう側をデザインする。株式会社コンクリエイトデザインの越境するクリエイティブ

IID 世田谷ものづくり学校から歩いて1分くらいの場所にある、個性的な個人商店がひしめく三宿通り。
それは国道246号線から垂直に、祐天寺や都立大学方面に向かって伸びている通りです。

いつの間にかこの「世田谷ものづくり企業探訪」も今回で6回目。

取材記事「世田谷ものづくり企業探訪」は、ものづくり学校の事務局スタッフが世田谷区内の様々なエリアに根付く「ものづくり」の場へ毎回訪問し、事業者のインタビューをおこない「世田谷のものづくり」の特徴やそれに関わる人々を発信していくシリーズです。

取材・文:石塚和人(IID 事務局)

この日はその三宿通り沿いの世田谷公園のすぐに側に事務所を構え、DIYオリジナルプロダクトブランド「PINK FLAG(ピンクフラッグ)」の企画・デザイン・販売や、ブランディング、コンセプトデザイン、まちづくりに関連したワークショップなど、ボーダーレスな領域で活躍している株式会社コンクリエイトデザイン代表 佐々木 拓人(ささき たくと)さんの事務所を訪問。その事業内容やこれまでの経緯ついて取材させていただきました。

IID 世田谷ものづくり学校から2、3分も歩けば、その事務所があるマンションが見えてきます。
3階の事務所を訪ねると、すぐに代表の佐々木さん自身が玄関まで出迎えてくれました。
入るとすぐに、これまでにデザインした作品が棚にズラリとならんでいます。デザイナーさんの事務所らしい。
そしてそのさらに奥には、DIYオリジナルプロダクトブランド「PINK FLAG」の代表的製品である「PILLAR BRACKET(ピラーブラケット)」を使って作ったパーテーションが目に入ります。
株式会社コンクリエイトデザイン代表 佐々木 拓人さん。

石塚 こんにちは。佐々木さんとはIIDの受付カウンターのデザインとDIYをディレクションしていただいた時以来ですね。お元気ですか?
 
佐々木さん 元気ですよ!つい先日は事務所のすぐ隣の世田谷公園でのイベント「三宿夏祭り」に遊びに行ったりしてました。けっこう賑わってましたね。
 
石塚 そういえば飲食店に行列ができてました。あと、もうすぐIID 世田谷ものづくり学校で開催される三条市主催ののスタートアップ向けプログラムにも参加していただけるとか。
     
佐々木さん はい。三条市は金属加工が有名ですけど、実はぼくの大阪の実家の父が寺社仏閣の屋根を手がける鈑金職人なんです。住吉大社など、有名な神社の仕事も手がけてました。
     
石塚 それは初耳!この取材では毎回、今の事業にたどり着いた経緯について聞かせてもらうんですが、佐々木さんデザインのルーツを探るためにも、ぜひその辺りから伺っていきましょうか。
   

職人である父親からの影響を受けた子ども時代

佐々木さん 大学は建築デザインを専攻していたのですが、そのずっと前から父親の影響も受けています。
宮大工が木に彫った造作は、そのままではすぐに朽ち果ててしまいます。なので表面を酸化させた銅板などでそれらを保護する職人仕事を、ぼくの父親がやっています。父からは燕三条の職人の金属加工技術の凄さについてよく聞かされていましたね。
   
石塚 ちなみに実家はどこなんですか?
    
佐々木さん 大阪の堺市です。
   
石塚 堺市というと商人の街というイメージがありますね。
   
佐々木さん そうですね。実は堺市は包丁などの刃物や、自転車なんかも有名なんですよ。そういえば父親は元々はラリーの選手をしていたらしいのですが、祖父が亡くなって家業を継ぎました。
父親は面白い人で、大学の工学部だったせいか他にもパソコンのOSを開発したり、オリジナルでゲームのプログラミングを組んだりしてました。まだジョブズとかビルゲイツが有名になる前の話です。子供のころはよく父親のつくったゲームで遊んでました。
   
石塚 それは普通の職人さんじゃないですね。
    
佐々木さん しかも父親はアマチュア無線の1級をもっていて、毎年仲間と山にキャンプに行くんです。そこで父親がずっと「CQ,CQ」ってやってたのを横で見てました。しかも毎週金曜の夜は、父親の仲間が家に集まってずっとプログラミングやその他のことをずっと話していて、それを子どものぼくが横で聞いている、というようなことが日常でした。
    
石塚 それは佐々木さんが幾つの頃のことですか?
    
佐々木さん 小学校低学年から4年生くらいまでですかね。だからぼくはファミコンが出始めたと同じ時期に、シムシティなんかをやっていました。ゲームのコマンドが英語の時もありましたよ。
     
石塚 すごい環境だ...。
   
佐々木さん そもそも先祖代々続く職人の家だったんですが、父親はプログラミングなんかも好きだったようで。そして近所の人たちも、鈑金屋だってことがわかっているのかわかっていないのか、壊れたファミコンなんかをうちに持ち込んできて「直せますか?」って。
   
石塚 え?それどうするんですか?
   
佐々木さん ふつうならジャンル違いなので断りますよね。でも父親は「あ、いいですよ」って受けて直しちゃう。
    
石塚 それ、お父さん面白すぎます(笑)
    
佐々木さん ボーダーレス感というか、たしかに変わった父親だったかも。そういう精神も今の自分のDIYというコンセプトにも生きているのかもしれません。なんでも自分でできる素養をもっておく、みたいな感覚です。
    
石塚 なるほど。
     
佐々木さん そんなわけでウチはふつうのサラリーマンとは違う家庭でした。そういえば父親は大学の友達と共同でログハウスを建てていました。そして小学校高学年の頃の実家の車はDIYしたキャンピングカー。その車で四国回ったりとか。
    
石塚 アウトドア好きとしてはうらやましい。普通のDIYのレベル超えてますね(笑)
     
佐々木さん でも当時、ぼくは反抗期だったので、ちょっと「そんなん面白いか?」と思ってたり。そんなひねくれた感じが今につながっているかも。
   
石塚 その反抗期が佐々木さんの方向性になにかしら影響しているってことですか?
   
佐々木さん 音楽とかサッカーとかファッションとか、父親が通ってない道にまず興味をもったのはそのせいかも。その後は自分が独自にかっこいいと思った道に、親からの影響も足していった感じですかね。
DIYってちょっとダサいというか日曜大工のイメージもあるじゃないですか。そこにデザイン的要素を加えていったり
   
石塚 なるほど。自分の興味と、父親からの影響を掛け合わせたのが佐々木さんの今なんですね。
      
佐々木さん 今の自分のジャンルレス感を客観的にみると、実はあまりデザイナーっていう肩書きもしっくりきていないんです。
     
石塚 確かに。ぼく自身も佐々木さんを単なるグラフィックデザイナーとはみていない気がします。どちらかというとコンセプターとかディレクターみたいな感じ。
     
佐々木さん そうですね。ぼくも格好良さに重きを置いてデザインしているわけでは全くないですね。もっと違うところに重きを置いてます。
    
石塚 そんな佐々木さんの肩書きって、普段どうしてるんですか?
   
佐々木さん あまりちゃんと書いてないことが多いです。今はしっくりくる言葉を模索中ですね。
   

学生時代に海外を旅して目にしたもの

石塚 ところで、佐々木さんはいつまで大阪にいらっしゃったんですか?
    
佐々木さん 高校まで大阪で、大学は滋賀県立大学 環境科学部環境計画学科の建築デザイン専攻に通っていました。そこは新しい大学で自分は二期生だったんですが、関西だと自分の指向に合う、工学部じゃないデザイン系の建築学部が少なくって。
色々調べて一級建築士の受験資格がもらえるこの大学に決めました。
  
石塚 自分がやりたいデザイン方面のことも勉強しつつ、建築士の資格もしっかりとりたいということですね。
 
佐々木さん ただ大学はそんなに行かず、ヨーロッパやタイ、ミャンマー、マレージア、モロッコなど、海外を旅ばっかりしてました。でもその時にした経験はすごく今に生きています。
たとえば当時の旅した所の宿とか、そこで見たものをずっとスケッチしてたんですね。そのスケッチは今も残ってます。妹尾 河童(せのお かっぱ)さんという旅先の部屋なんかをスケッチをする舞台美術家・エッセイストさんがいて、その人を真似てなんですけど。
 
石塚 そんな旅先でのインプットも、今のデザインに影響を与えてそうですね。
 
佐々木さん あとはイギリスのリバプールとかアビーロードなんかも行きました。有名なロイヤルアルバートホールのライブにいったり。
 
石塚 自分の音楽のルーツを辿る旅ですね。いいなあ。
 
佐々木さん あとはサッカーの試合を海外に観にいったり。
そういえばちょうど高校入学前の休みに、父親が仕事でイギリスに行ったことがありまして、それに母親と一緒についていったんです。その時たまたま2部のチャンピオンズリーグ決勝をウェンブリースタジアムで観ました。そういう経験も自分のUKカルチャーに対する興味に影響を与えてるかも。
   
石塚 それで音楽もUK好きなんですね。でも「PINK FLAG」の製品は一見アメリカっぽい感じにも見えます。

相反する要素を掛け合わせるデザイン

佐々木さん それについては、ぼくが「PACIFIC FUNITURE SERVICE(パシフィックファニチャーサービス、以下PFS)」さんという恵比寿にあるお店が大好きで。
いわゆるアメリカライクな米軍っぽい雰囲気の家具やパーツのお店なんですけど。昔大阪にも店舗があって、大阪にいた時に知って「うわーカッコいい」って。でも一方で、本物の米軍払い下げのものとかを見ても、あまりピンとこない。
それはなぜかとずっと不思議に思ってたんですが、以前PINK FLAGの商品の取引をスタートする時に、まずPFSさんにオファーを出したんです。ラブレターみたいな手紙を書いて(笑)
で、いざ仕事をすることになってPFSの代表と雑談していて「どんな音楽を聴いてきたんですか?」って聞いたんですよ。そうしたら彼は「(PFSがアメリカライクなので)アメリカの音楽が好きだと思われがちだけど、実はイギリスの音楽が好きなんだよ」って言ってて。そこで少しわかった気がしたんです。ようはミクスチャー。うまく要素を折衷してるというか。
PFSさんも出発点はアメリカの無骨な家具なんですけど、それに自分たちのテイストを入れる。たとえば繊細さとか、イギリスっぽさを入れたり。それらをどのくらい掛け合わせるかっていう所こそがセンスですよね。
    
石塚 ここまで話を聞いて気づいたんですが、一見真逆にみえる2つの要素を掛け合わせる、みたいな話がよく出てくる気がします。職人であるお父さんの影響とデザイナー的な視点とか、DIYと既成品とか、アメリカとイギリスとか。
   
佐々木さん もっと言えば文系と理系とかも。バックミンスター・フラーとオノ・ヨーコとか。
   
石塚 なるほど!ちなみに特に影響を受けたデザイナーやアーティストっていますか?
   
佐々木さん デザインの専門教育を受けたわけではないのであまり知らないんですが、もちろんいますよ。
「I ︎❤︎ NEWYORK」やボブ・ディランのポスターのデザインで有名なMilton Glaser(ミルトン・グレイザー)とか、雑誌「アヴァンギャルド」のアート・ディレクションを手がけたHerb Lubalin(ハーブ・ルバーリン)、ファッションブランド「ベネトン」の雑誌『COLORS』で知られているTibor Kalman(ティボール・カルマン)とかですかね。
そんな説明をしてもらいながら、本棚からデザイン書籍を引っ張り出してもらい、佐々木さんのルーツとなったデザイナーの書籍を色々と紹介してもらいます。
佐々木さん こういうデザイナー達も、音楽とか映画なんかのサブカルチャーをきっかけに知ることが多かったですね。ビートニクとかボブ・ディランなんかも好きで。
    
石塚 サブカルからいろんなことを学びましたよね。それこそ映画のチラシとかクラブイベントのフライヤーとか。
   
佐々木さん そこからいろいろつながっていくんですよ。オノ・ヨーコやジョン・レノンからフルクサスを知って、フルクサスから赤瀬川源平さんを知ったり。
ぼくは建築もやっていたので、日本の建築を見て回った時期もあって。その時に藤森照信さんという建築家を知りました。タンポポハウスとか、ニラハウスとかの。で、藤森さんの家に住んでるのが赤瀬川さんだったり。
   
石塚 どんどんつながってきますね。そんな感じで色々吸収していく中で、将来はの方向性なんかは考えていたんですか?
   
佐々木さん 1、2年ほどは就職せずにツタヤでバイトしながらバンドを頑張ってました。その当時に店頭POPをつくるためにデザイン系のソフトなんかもさわったりしていて。それが2000年から2002年頃。
そのうちにバンドよりデザインの方が面白くなってきて、独学でいろんなデザインをつくって何社かのデザイン会社に送ってみた。そこで採用してくれた会社がタイクーングラフィックスさんだったんです。
   
石塚 すごい!当時の音楽好きからしたら憧れのデザイナー集団ですよね。
   
佐々木さん 日韓ワールドカップで盛り上がっていた2002年に大阪から東京に出てきて、いきなりタイクーングラフィックスに入社するんですが、そこがあまり合わずに3ヶ月すぐにやめちゃうんです。めちゃくちゃ忙しかったのもあったんですけど。毎晩のように夜中の4時まで仕事してたり。
大阪に帰った後は、以前からつながりがあった西 哲(にし てつ)さんというグラフィックデザイナーの奥さんが社長をしている事務所にお世話になってました。西さんはニール・ヤングとかシーナ&ロケッツのジャケットも手がけている人です。
   
石塚 こちらもすごい方ですね。
   
佐々木さん 西さんの奥さんの事務所で1年ちょっと働かせてもらった後は、2004年の頭から大阪で独立しました。
ただ当初はあまり面白い仕事もなくて、タイクーンの時の繋がりもあったりしたせいか、もう一度東京の下高井戸に出てきたんです。その後は昔の同僚と青山の事務所をシェアしたりした時期もありましたが、そういえば基本ずっと世田谷に住んでますね。
   
石塚 なぜ世田谷だったんでしょうか?
   
佐々木さん 昔のバンド仲間が近くに住んでたってのもありましたけど、下北沢という街があったせいかもしれませんね。「CLUB_Que(クラブキュー)」とか「SHELTER(シェルター)」なんかのライブハウスがあったし。
   
石塚 そして都内に出てきてからはどんな仕事をしてたんでしょうか?
   
佐々木さん 大阪時代に進研ゼミの紙面の仕事をしていたので、そこの会社から情報誌や教材のパッケージデザインの仕事を受けたりしました。
   

DIYオリジナルプロダクトブランドの開発

石塚 ここまで聞いた限りではグラフィックの仕事が多い感じですね。そういえば佐々木さんというとプロダクトのイメージがあるんですが、いつからそっち方面の仕事をするようになったんでしょうか?
   
佐々木さん プロダクトの仕事をやろうと思ったというよりは、青山に事務所を借りた2009年辺りから『クライアント仕事ばっかりだと良くないなあ』と思っていて。
あとは自分が本当にいいと思っているものを発信したいとおぼろげに思ってました。
でもすぐにそっちの方向に動くってよりは、コクヨのデザインアワードに応募してみたりしてました。その時の作品はこれ。レポート用紙の裏にサッカーボールの柄をデザインしたんです。書き損じた時って紙をくしゃくしゃに丸めて捨てますよね。これくしゃくしゃに丸めるとサッカーボールになるんです(笑)
佐々木さんがコクヨデザインアワードに応募した時の作品。
石塚 遊び心がありますね。
   
佐々木さん でもそういう第三者の評価が必要な所では、なかなか世に出なかったりして。
そのうち2009年くらいに少し広い部屋に引っ越すんです。リビングが正方形の部屋に。実は正方形って長方形くらべて使いにくいんですよ。どうにでもなる分、動線がよくわからない。
そのうちに「ここパーテーションで仕切りたいね」ってなったんです。でもいいパーテーションがなくって。それが「PILLAR BRACKET(ピラーブラケット)」をつくるきっかけ。
石塚 だんだん「PILLAR BRACKET」開発秘話っぽくなってきました。
   
佐々木さん じゃあ作ろうかってなったときに、2x4(ツーバイフォー)の木材をかってアジャスターをねじ込んだものを作りました。今の製品と全く同じ構造です。
で、家で友達とご飯を食べた時に「これいいね」って言われたりし「あ、これ面白いのかも」って。当時は2x4ってあまり知られてなかったけど、自分は便利だなって思ってて。あとアメリカに「SIMPSON(シンプソン)」っていうメーカーがそういった2x4と組合わせる金具を作ってたんですよね。あの箱馬なんかに使われてるやつ。
   
SIMPSON社の金具と同タイプのCRAWFORD社のソーホースブラケット金具。
石塚 そうか。2x4ってもともとアメリカの規格なんですね。
   
佐々木さん そう。それの日本版のスタイリッシュなものを作りたいと思ったんです。
   
石塚 友達にいいねって言われた後、すぐに商品化に入ったんですか?
   
佐々木さん 自分では設計ができないので、まずは協力工場を探しました。最初は野方の工場を当たった気がします。ここでサンプルを何個かつくってもらいました。今の形とは似ても似つかない箱型のものでしたけど。
   
石塚 その工場とは知り合いだったんでしょうか?
   
佐々木さん いや全然。飛び込みで、しかも図面の書き方もわからないままダンボールでつくった試作品を持ち込んだ感じです。
   
石塚 行動派!(笑) ふつうはそこのハードルが結構高いはずなんですけど。
   
佐々木さん たしかにそこのハードルは高かったかも。メール1通送るのすらも「これでいいんかな?」と迷ったり。
   
石塚 で、サンプルができた後は量産ですよね。
   
佐々木さん そのあとも友達に作りにいくと棚が好評でそこで初めて「本気でやってみよう」と決心しました。自分の出身地で作りたいというのもあって、大阪で量産対応をしてくれる工場を探しまくりました。飛び込みで5件以上行きましたかね。
   
石塚 断られたりもしました?
   
佐々木さん メールが帰ってこない所もありましたね。でも無下にされた印象はありません。みなさん丁寧に対応してくれましたよ、素人同然の僕に(笑)
その中でもより親身になってくれたチトセ工業さんとは、今でもずっと一緒にやってます。
   
石塚 やっぱり東大阪あたりの工場ですか?
   
佐々木さん だいたいその辺りですね。最寄り駅で言うと近鉄奈良線の「瓢箪山(ひょうたんやま)」ってところです。
石塚 どんな方法で探したんですか?
   
佐々木さん 一応ネット検索でした。当時はあまりまだホームページがある工場は少なかったんですが、その分よりリテラシーが高い工場が見つかったのかもしれないですね。
   
石塚 最初のアプローチは電話?それともメール?
   
佐々木さん 最初はメールですね。ここでまた父親の話になるんですが、小さいころから家業の職人さんと接していたせいか、職人のおっちゃんに親しみを感じていますしね。ぶっきらぼうに見える人ほど優しいのを知ってるというか。
   
石塚 あとは大阪人同士ってのもいいんでしょうか?
   
佐々木さん それもあると思います。だからいつも仕事をお願いしてるチトセ工業さんとは、事あるごとに大阪で飲みながら一緒に音楽の話したりとか(笑)
   
チトセ工業株式会社の皆さん。
チトセ工業さんの2019年末移転予定の新社屋。
石塚 やっぱり父親の影響は大きいんですね。そして量産の次の課題は販路ですよね。なにか当てはあったんでしょうか?
   
佐々木さん それがなにも考えてなくて。知人のバンドマンがヴィレッジヴァンガードに自分たちで営業してたのを聞いて、ヴィレバンとかを自分で回ったりしました。その当時のヴィレバンは店長の裁量で商品置けていたので。
でも自社サイト販売をスタートしてヴィレバンにも置いてから、2ヶ月たっても全然売れなくて。やっぱこういう商品って、モノだけポンと置いていても売れないじゃないですか。
その当時、友人に会うたびに、プロダクトの紹介チラシをばらまいていたんですけど、縁が繋がってそれが宝島の編集部に渡り、2013年の「リンネル」1月号で「PILLAR BRACKET」の特集を組んでくれたんですよ。普通ありえない。そこからオーダーがドーンときました。
   
石塚 どんな方からオーダーがきたんですか?
   
佐々木さん 半分以上が女性だったのが意外でしたね。
   
石塚 ほんと意外 ! でも載ったのがリンネルだとそうなりますよね。他の大手とかには卸してなかったんですか?
   
佐々木さん 卸はPFSさん以外は全部断ってましたね。大手とは色々あったので、もう本当にに自分がやりたい相手としか取引したくなかった。詳しいことは省きますけど(笑)
   
石塚 なるほど。そこはあえてツッコまないことにします(笑)
   
佐々木さん その後は商品だけじゃなくて、その商品を利用したDIYとかワークショップなんかもやるようになりました。商品のカタチは真似しやすいけど、そういうコンセプト込みのアイディアと一緒にパッケージにすると比較的真似されにくい。
これからはそういうパッケージを商店街の振興やまちづくりに生かす仕事なんかもやる予定です。
やっぱりDIYって言ってるからには、使う人の目的はその道具そのものじゃないんですよね。それを使って何をつくるかがDIYのメインなんです。
   
石塚 なるほど。自分の部屋の導線からスタートしたわけですが、それと一緒ですね。もちろん最初は「モノ」がきっかけだけど、それによって起こる「コト」の方が目的なんです。道具やデザインはそのツールにすぎないというか。
   
佐々木さん ぼくが手がけるデザインはそうなんです。まさにデザインはツールや方法論の一つでしかない。
   
石塚 ちなみにブランド名の「PINK FLAG」の由来は?
   
佐々木さん 「WIRE」というイギリスのポストパンクバンドがいまして。ロックじゃなければなんでもいい、っていって1977年にデビューしたバンドなんですけど。そのデビューアルバム名からとってます。
これが今聴いてもかっこよくて。パンクバンドやモッズ系のバンドだと勝手にもう使い古されているかなって気がしていて。「PINK FLAG」って響きが新鮮で手垢にまみれてないようにに感じたんです。
   
石塚 どういう意味なんでしょう?
   
佐々木さん わかりません(笑) でも、 既成のものを否定はしているけどアンチとしての側にも括られずに、ポツンとある感じがかっこいいかなと。その時はそこまで深く考えてなかったかもしれませんが(笑)
単純にかっこいいなと。
   
WIREのデビューアルバム「PINK FLAG」ジャケット。

コンクリエイトデザインのこれから

石塚 その「PINKFLAG」もブランドとして順調にラインナップや卸先も増やしているようですが、それとは別にコンクリエイトデザインの佐々木さんとして直近で予定している仕事について教えてください。
   
佐々木さん 今は教育関連の仕事を一緒にしていたクライアント先のアイディアを元に、「mi:den(ミーデン)」という新しいカードゲームのプロジェクトに関わってます。
   
開発中のカードゲーム「mi:den(ミーデン)」。
石塚 どんなカードゲームなんでしょうか? またそこでの佐々木さんの役割は?
   
佐々木さん ぼくの担当はもちろんグラフィックなんですが、それ以外のコンセプト周りも担当しています。
ゲームとしてはトランプの「スピード」の算数版みたいな感じですね。足す引く掛ける割るの答えの中から手持ちのカードを出していくルール。他にも素数とか奇数偶数の要素からも出せるカードがあったり。
ルールも固まっていない所もあって、まだまだブラッシュアップ中なんですけど。
   
石塚 かなり頭の回転の速さが必要になりそう。このアイディアを思いついた方はどういう思いでこのカードゲームをつくったんでしょうか?
    
佐々木さん 発案者の彼が小学校の先生をしていた時に、算数の授業中の生徒達の『やらされている感』が気になったことがきっかけらしくて。
   
石塚 あ、算数ドリルの数式穴埋めとかですかね。
   
佐々木さん そうそう。それだと生徒たちが自分事としてやらないので、授業の最初の10分でなにかできないかなと考えたらしく。彼には学びは子ども達にとって、本来楽しいものであるべきだという思いがあったみたいで。
最初はPC上で2つの数字の公約数を当てるゲームみたいなものを作って生徒を競わせたら、かなり盛り上がったらしいんです。
で、彼は教師を辞めた後は、教職員にそういったワークショップをするような活動もしているんです。
   
石塚 それは面白い試みかも。
   
佐々木さん もうすくリリースになる予定ですが、ワークショップなどを実施しながら展示会に出したり、販路としてクラウドファンディングなども考えています。
そしてこれはぼくのアイディアなんですが、このゲームが「デザイン「あ」」の算数版になればいいね、って話してるんです。もちろん計算をするゲームなんですけど、世の中にはいろんな数字がある、ってことを意識させるツールにしたい。
たとえば、このゲームには何も書かれていないブランクカードが入っていて、自分だけのカードを作ることができるようになっているんですが、そこにただの数字を書くんじゃなく「今まで自分がなったクラスの番号」や「自分の生年月日」って書くなど、1つのセンテンスでどれだけの数字を内包できるか、みたいなことを考えるきっかけになると面白いな、と。
   
石塚 それは盛り上がりますね。でもこういう教育方面の仕事は佐々木さんが要望してスタートしたんですか?
   
佐々木さん そういうわけじゃないんですが、今回のクライアントはもう15年来の付き合いで、ぼくのデザインのことも良くわかってくれていて。ぼくの特性が単にグラフィックデザインだけじゃなくて、アイディアのブレストやコンセプト出しにもあって、それ込みで依頼した方がアウトプットが良いというのも理解してくれているんで。
   
石塚 なるほど。佐々木さんに依頼する多くの人は、最初からデザインの一つの工程だけを依頼してる訳じゃなく、グラフィックデザインに限らず、それを越えてその前後の過程に関わってくれることを期待しているんですね。
   
佐々木さん またぼく自身もそっちの方が面白いですから。発案者も気づいていないような、言語化できてない漠然とした想いみたいなものを一緒に探していくのが好きです。
   
石塚 なるほど。お話を伺ううちに、佐々木さんのデザインのスタイルがかなり伝わってきました。最後に今後やりたい事について聞いてもいいですか?
   
佐々木さん 特にジャンルとかではないんですが、やりたいことやアイディアを持っている人って、その裏側にあるものに自分では気づいていないことが多いと思うんです。自分のことって一番自分が分かっていなかったりするじゃないですか。その「想いやアイデア」と「それを使っていきたい場所、行くべき場所」、つまり後ろと前をクライアントとしっかり考えることで、「どこから来てどこへ行くのか」というベクトルを描き出すお手伝いをデザインを使ってできたら最高ですね。大雑把に言うとブランディングっていうことになってはしまうのですが。
   

そんな彼らしい言葉でこの取材は締めくくられました。

ちなみにこの取材後に、屋号の「コンクリエイト」という言葉の由来を聞くと、全く正反対の意味を持つダブルミーニングなものにしたいという、思いがあったそうです。
その2つの意味はこういった感じ。
オノ・ヨーコさんが自分のアートを「私のアートなんて、con (=でたらめ、まがい物) artよ」と言っていた所からの意味が一つ目の意味。
そして「con」には接頭辞で「共に」と言う意味もあるので、それにcreateをつけてCon-Create とすれば、「でたらめクリエイト」という自虐的なニュアンスと、「クリエイトを含む、共に」と言う正反対の意味になる、と思ったとか。

1つの工程のデザインにとどまらず、アイディアの背景からコンセプト立案、そして最終アウトプットまで。ジャンルをボーダーレスに越境しながら、発案者と共に伴走してくれるデザイナーである佐々木さん。
そんな伴走者を求めている依頼主がこの記事をきっかけに、株式会社コンクリエイトデザインと一緒にワクワクするような新しいモノやコトを生み出してくれることを期待しています。

参考リンク

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