世田谷ものづくり学校

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世田谷ものづくり企業探訪 vol.5| 株式会社友成工芸/株式会社TOMONARI(世田谷区池尻)

友成工芸の”つたえてつながる”ものづくり。日本の技術と価値を海外へ伝える挑戦

世田谷の特色あるものづくり企業を訪問し取材する「世田谷ものづくり企業探訪」。5回目となる今回は、60年以上にわたってアクリルの加工業を営む株式会社友成工芸 / 株式会社TOMONARI様を取材しました。

取材記事「世田谷ものづくり企業探訪」は、ものづくり学校の事務局スタッフが世田谷区内の様々なエリアに根付く「ものづくり」の場へ毎回訪問し事業者へインタビューを行い、世田谷のものづくりの特徴やそれに関わる人々を発信していくシリーズです。

取材・テキスト:石塚 和人(IID 事務局)

世田谷区池尻の閑静な住宅街に立ち並ぶマンションやカフェに紛れて、友成工芸さんの町工場とショールームがひっそりと佇んでいでいます。
お話を伺ったのは株式会社友成工芸2代目代表取締役である友成哲郎さん、そして日本のものづくりの価値と技術を海外に伝える事業を営む株式会社TOMONARIの代表取締役である友成冨美(ふみ)さんのお二人です。
友成冨美さん(左)、友成哲郎さん(右)。

株式会社友成工芸の創業と事業承継ストーリー

会社は1952年(昭和27年)に先代の友成哲郎さんのお父様が世田谷の奥沢にて機械彫刻の事業を「友成機械彫刻」として始めたのが最初のスタート。工業系の高校を出ていたお父様は、当時は物置に放り込んであった国産の機械彫刻機に目をつけたのだとか。

その頃は軍需関連、カメラ、米兵土産など、主に金属への彫刻の需要が豊富にあったそうで、麻布十番の工場にて1年間の彫刻技術修行の後、事業をスタートされたそうです。
そのうちに工場は奥沢から、現在の池尻へ移転。それとともに会社の名称も「友成プラスチック工芸」に。
機械彫刻機を扱う友成哲郎氏。
哲郎さん よく池尻で事業をしているというと『落ち着いたいい場所で仕事しているよね』みたいに言われます。でも当時の池尻は今のような住宅ばかりではなく、周囲には石鹸工場や板金工場、印刷工場、酸素ボンベ工場などが立ち並ぶような場所でした。
    
石塚 それは知りませんでした!時代の移り変わりを感じます。
    
そして加工の対象も、次第に時代の流れとともに金属からプラスチックやアクリルに置き換わっていきました。

当時は金属よりもプラスチックの方が材料が比較的入手しやすく、参入もしやすかったというメリットもあったそうです。
金属への機械彫刻で培った技術は、そのままアクリル製の建築用定規の加工技術に置き換わりました。

そして哲郎さんが中学に上がる頃には、2棟の工場に30人ほどの職人さんや職工さん(部分的な工程のみを行うスタッフ)が働いていました。当時の機械彫刻の職人は徒弟制度のようなもので、地方から上京した住み込みの若者が寝泊まりする場所もあったとか。
建築用定規サンプル1
建築用定規サンプル2
石塚 友成さんは最初から家業を継ごうと思っていたんでしょうか?
   
哲郎さん 多少は家業の外の世界に憧れもあったものの、小さい頃から父親や職人のものづくりを当たり前のように見て育っていたせいか、大学を卒業した後は半ば当然のように家業に入りました。私が入社したころには、仕事が多かったこともあり既存の仕事の効率化、量産化の工夫が課題でした。

下請けから次のビジネススタイルへ

その後しばらくして、手書き用の建築用定規はCADなどの新しい技術に押され、需要は徐々に目減りしていきます。
大手半導体製造メーカーの財務部から友成工芸の営業に加わった奥様の冨美さんは、ある時に会社の数字をみていて、次第に減っている売上と仕事量にいち早く気づきます。現場の社員はその状況に気づいていなかったとか。
彼女は「このままではまずい」と思いたち、これまでの「仕事は勝手にやってくるもの」という下請け的な姿勢から、営業をして仕事を取りに行く事業スタイルを意識し始めました。

冨美さん 当時はかかってきた電話に出てもこちらは社名を言わない、それが当たり前だったんです。なにしろ既存の取引先からしか電話が来なかったんですから。むしろ名前を聞いてくるところは飛び込み営業の類いという扱いでした。
 
石塚 今の感覚からするとちょっと驚きです。
 
冨美さん 以前の半導体製造メーカーにも営業に関する相談をしたりと試行錯誤する中で、アクリルを使う業界を営業先としてリサーチしていた時期がありました。設備投資をして前職の職場から仕事を受注する道もあったかもしれませんが、あえてそれはやめる決断をしました。

そんな時に舞い込んできたのが化粧品のディスプレイの仕事だったんです。その後も大手化粧品会社の社長さんとも繋がりができ、自分たちの会社の強みは何か、自分たちの技術で何ができるのか、ということを考えながら先方に説明・提案をしていきました。
 
石塚 下請けの仕事から提案型の仕事へ移行していったわけですね。
 
冨美さん でも、そういう方向へ大きく舵を切った、という意識はありませんでした。いろんな偶然の出会いや繋がりの中で、少しずつ少しずつ変わっていったという感覚です。
 
その後、偶然会社を訪ねてきた早稲田大学に通う建築科の大学院生や、アクリルに絵を書いていた学生アーティストなど、デザインに興味のある若い世代との出会いなどを通して、これまでとは違うビジネススタイル、つまりパターンオーダーのアクリルトロフィー製作なども手がけるデザインも含めた受注方法が徐々に確立していきました。

そして友成工芸は彼らと一緒に、開催最後の年の『DESIGN TIDE TOKYO(デザインタイドトーキョー)』という展示会にTOM PRODUCTS(トムプロダクツ)というアクリル製品のデザインレーベルをつくり出展します。

展示会への出展などを皮切りに、友成工芸はITOYAや東急ハンズなどへのオリジナル製品の卸販売が始まります。これまでの「待つ」ビジネスから、デザインして 「発信する」ビジネスがスタートしました。
アクリルのトロフィーサンプル。

枡ブランド「mas/mas(マスマス)」のスタート

mas/masの展示。
石塚 そもそも『世田谷みやげ』にも指定されているアクリル製の彫刻入り枡ブランド「mas/mas(マスマス)」を立ち上げるきっかけは何だったんでしょうか?
 
冨美さん 当時IID 世田谷ものづくり学校で開講されていた「スクーリングパッド」というコミュニティ型セミナーのレストランビジネスデザイン学部に通っていたことがありました。
そこで出会った若いメンバーたちとのお花見用に、自分たちが日本酒を楽しむ為の枡を作ってみたのがきっかけです。その枡がその時のメンバーに大好評で、そのせいかその花見は近所からクレームが来るほどの盛り上がり。「mas/mas(マスマス)」というネーミングもその場で決まりました。

彼らは「ブランディングとは何か」みたいなことを常に考えている人達だったので、そんなこともきっかけでした。
 
mas/mas(マスマス)商品イメージ

その後も東京都からの助成金を利用して枡の金型を製作し、枡の製法を接着からインジェクション成型に変えて製品クオリティ向上を図るなど、製品の改良にも務めました。その時にも友人のデザイナーがボランティアのような形でデザインに関わってくれたとか。
そうして『TOM PRODUCTS』』『mas/mas』などの友成工芸の主力ブランドが確立し、自社によるECサイトなどもスタート。

冨美さん 振り返ると、アルバイトや繋がっている知人、友人も含め、皆で一緒に少しずつ成長してきた気がします。
 
世田谷みやげ...世田谷区内のさまざまなお店から、世田谷にゆかりのあるお店自慢の逸品を募集し、「世田谷みやげ」として指定しているもの。(公財)世田谷区産業振興公社の主催で、今年で14年目を迎える。

日本が誇る価値を世界へ「Delivering Japanese Values」

石塚 一方で冨美さんが代表を務める株式会社TOMONARIでは、カンボジアに日本の技術を伝える事業をスタートされたとお聞きしました。この事業はどんな経緯でスタートしたのでしょうか?
  
冨美さん 今まで話したように、時代の流れや取引先に左右される製造業って本当に大変で。そんなハードな状況の中、製造業のヒエラルキーの三角形の形を少しでも変えられないかと当時から考えていました。そんな思いと共に、海外進出への興味もありベトナムなどを視察していたことがきっかけでした。
 
石塚 なぜカンボジアでの技術伝承にたどり着いたんでしょうか?
 
冨美さん 海外進出している日系企業などに話を聞くと、現地の人達が働く工場では、そこで働く現地のスタッフの教育に悩んでいる所が多く、その状況を変えるには現地の人々に技術を教える人材育成の場が必要だと思いついたんです。そしてそこでの教育を、町工場の職人であり、社長である哲郎さんが担えないかと考え始めました。

当時、トヨタがハノイ工科大学の中にトヨタ教室をつくったり、TOTOが日本の現場の職人をアジアに派遣したりと、そういった動きも冨美さんの事業のヒントになっていたとか。ただ、ベトナムで日本人がそういった人材育成の場づくりをするとなると、やはり必要になるのはお金。

冨美さん 資金面から一度は諦めかけたんですが、そこでもスクーリングパッド時代の友人にきっかけをもらいました。その友人がカンボジアでボランティアをしていて、ベトナムまで来ているならついでにカンボジアも見に来たら?と誘ってくれたんです。
  

そんな経緯からビジネスツアーでカンボジア視察をした途端、状況が動き出します。
日本で廃業になった工場が彫刻機2台を放出する、という話がとつぜん舞い込んできたり、学校の先輩の紹介で現地のNGOと繋がったり。そして放出された機械彫刻機を2台とも購入することを決意し、ついには置き場所も決まっていないまま、それらをカンボジアのシェムリアップに送るという急展開。

このころにカンボジアで技術伝承プラットフォームを手がける会社をつくる助成を東京都に申請し、「株式会社TOMONARI」を設立。JICAへ申請していた「新事業展開実現可能性調査事業(FS調査)」の費用も取得できたことがきっかけで、カンボジア政府との繋がりもでき少しずつ道が拓けたそうです。

最近では、株式会社TOMONARIとカンボジア労働省が契約(MOA)を結ぶまでにいたり、思い立って5年以上かけて後、ようやく事業はスタートラインに立ちました。

カンボジアにある汎用機械彫刻機
カンボジアへ輸送した機械彫刻機
石塚 5年以上かけてスタートラインとは、本当に大変な道のりでしたね。現在、多くの製造業が自らの生き残りに四苦八苦している中、冨美さん、哲郎さんのお二人が海外での技術伝承や人材育成事業を続けていけるモチベーションは一体どこにあるんでしょうか?
  
冨美さん 製造業の形を三角形(ヒエラスキー型)から丸くしたいんです。つまり製造業人材の循環をつくりたい、というか。実はプノンペン大学の日本語学科長に協力してもらって、技術と同時に日本語も教えていく計画なんです。そういうことまでやった方が、面白くありません?
 
石塚 すでに製造業の枠組みを超えて文化交流や人材育成の領域ですね。本当にやる価値のある事業だと思います。
 

この話をしている時の冨美さんは、この大変な道のりを本当に明るい表情で語っていて、この事業に心からやりがいを感じている事が伝わってきました。

最近では、カンボジアからの留学生の受け入れをしたり、カンボジアの政府関係者をアテンドしたりと、株式会社TOMONARIの活動は、製造業の枠を飛び越えて日本とカンボジアの文化交流の領域まで広がりつつあります。

カンボジアで彫刻実習をする女性。
現地の実習での製作物。

日本の町工場の技術をきっかけに現地の人々自身が仕事をまわす仕組み作りを

石塚 ようやく事業はスタートラインに立ったわけですが、今後やりたいことはありますか?
 
哲郎さん プノンペンでの2年間の技術伝承活動で、ようやく一人の女性を技術指導者として育てることができました。カンボジア労働省との折衝でシェムリアップの新しい職業訓練校に機械を置く教室を一部屋もらう事もでき、現地でのニーズも少しずつ見えてきた所です。
とはいえ、日本人にとってカンボジアのことはわからないことも多い。これからは単に技術やすぐにお金になることを教えるのではなく、現地の人々がカンボジアにあったビジネスを自分自身で考えるきっかけ作りをしたいですね。
 
富美さん そして私たちには後継者がいないので、最終的には日本の工場にある設備を全てカンボジアに移したいですね。ゆくゆくはそれがカンボジアの人達の役に立てばいいなと思ってます。
 

日本とカンボジアをつなぐ二人の夢と挑戦は、まだまだこれからも続いていくようです。

株式会社友成工芸 / 株式会社TOMONARI

住所:東京都世田谷区池尻4-26-7 ファインテラス池尻201
TEL:03-3413-7050
MAIL:info@tomonari.co.jp
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